「誼」殿御返事

 座談会で触れた温かい励ましに、が明るくなった。悩みを語り、共に乗り越えようと決し合う姿に、「自分も」と誓った。向かった先は、かつて自分をいじめた同級生。懸命に信仰の喜びを語ると、友は理解を示してくれた。「最初に一番手な人に話せば、壁が破れるとった」と語る▼日蓮大聖人は、「人を成長させるものは、味方よりもかえって強い敵である」(917ページ、趣)と。誰しも“手だな”とう人はいる。そこを避けることは簡単だ。しかし、どんな相手でも、忍耐強く、誠実に対応しようと挑戦すれば、自身が磨かれる。も通じるものだ▼ゴールデンウイークは、近隣との交流、旧友との再会など、友情を深める機会が多い時期。誠実な語らいで、大きく自己を成長させる「黄金週間」にしたい。(誼)


【「字の言」/聖教新聞 2009-05-01】


確認事項」に書き、その後何度も注をしているのだが、聖教新聞が私の足を引っ張っている。たまったものではない。


「友は理解を示してくれた」だってさ。じゃあ何だい、「同志は理解して欲しいと頼んだ」とでもいうのか?


 この文章は滅茶茶だ。何の説明もなしで、「強い敵」=「手な人」と決めつけ、「忍耐強い挑戦」を勧めた上でゴールデンウイークの交流に結び付けている。忍耐強さは日常にこそ求められるべき質のものだ。記者子の格破綻ぶりがモロに現れている。


 こんな文章を読ませられる学会員が気の毒でならない。こんな文章で動する学会員がいたとすれば、信仰は盲信を味することになる。


 組織の打ち出しを自己の内面で消化しきれないまま後輩をコントロールしようとすれば、その言動は必ず政治的な匂いを放つ。結果的に論理が破綻し、情に訴えようとする。その典型がこの文章だ。