組織過剰


 ドラッカーの処女作。アメリカで初版が刊行されたのは1939年(昭和14年)のこと。書き始めたのはドラッカーが23歳の時であった。ドラッカー戸田先生より9歳年下。

 ところが、組織の有効にとって組織自体を目的とすることほど危険なことはない。
 その結果もたらされるものは、構造的にも技術的にも最も深刻な種類の組織過剰である。すでにドイツとイタリアでは、計画化と正確を追求した結果、政府組織や産が、過度に集権化され、組織化されている。小さな歯車が一つ狂っただけで、極度の混乱が引き起こされるようになっている。

 あらゆる組織において、下部機構は決定と自由裁量をまったく禁じられている。
 自らの発によっては何事も行うことができない。そのような混乱はすでに、ドイツの鉄道網で、何度も劇的に起こっている。かつては現場の担当者がなく修正できたわずかな時間のずれが、遠く離れた中央のどこかからの指示待ちのために、広大な地域の運転休止をもたらしている。予定どおりにいっている間は、いかに厳格な専門家をも満足させる仕事ぶりを見せているのに、ごくわずかなずれが生じただけで大幅に狂う。


 同じように深刻な問題として、すべてを把握し指揮することのできる者が一人もいなくなっている。すべてがあまりにも複雑化した。ドイツとイタリアでも、国家財政の全容を把握している者は、あの唯一の最高指導者を除き一人もいない。

 大蔵大臣は、予算、税収、大蔵省発行の公債残高については知っている。しかし、独自に債券を発行している数百にのぼる政府機関それぞれの財政状況については何一つ知らない。十指に余る丸秘扱いの歳出項目についても内容を知らない。
 そのうえ、あらゆる組織が自らの活動を秘密にする。他の組織を犠牲にしてまで自らの組織を拡張し、最強の組織たらんとする。しかも、組織そのものが目的化しているために組織の支配権が組織内闘争の的となる。


 経済的には、これらのことは企が無駄な手続きのために膨大な費用を負担させられることを味する。今日ドイツでは、その費用は生産コストの4分の1にのぼると推計されている。


【『ドラッカー著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー/上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社1958年)】


ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり