一時間置きに現れる悟り


 本来であれば私事はあまり書きたくないのだが、記録として残しておきたいゆえ、何卒ご容赦願いたい。


 父の件で好き勝手なことを書いているが、実はこれ悟りである。そこ、笑わないよーに! いや本当の話だ。大体、一時間に一つの悟りが現れる。明らかに脳内でシナプスのつながり方が変わっている。「あ、こうなんだな」ってな具合だ。ひょっとすると三千遍かも知れない。私のスピードだと45分を切る時間である。


 父が倒れたのが11日の午後のこと。で、「今日、明日がヤマです」と医師から言われた。私は15日から謝の唱題を捧げている。父は既に寿命を延ばしているとっているからだ。で、今日もまだ生きている。つくづくありがたいことである。本当に「有りい(有ることがしい)」とはこのことだ。

 命は三千にもすぎて候・而も齢(よわい)もいまだ・たけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命やをしの命や、御姓並びに御年を我とかかせ給いて・わざと・つかわせ大日月天に申しあぐべし(「可延定書」986頁)


 初めは「親父が生きていて、ありがたいなー」とっていたのだが、「そういや、俺が生きているのもありがたいなー」となり、「先生もお元気で嬉しいなー」と、妙に生温かい情が湧いてきた。父の病が、“当たり前であることの幸福”を教えてくれているのだ。謝は尽きない。