「死の幻影」3

 私は少しも大袈裟に書いているのではないのだが、はっきりさせておきたいことは、私の味わったこの痛は、【この時の私の特殊なものである】、ということである。これをもって、みんなこういうものだ、というつもりはいささかもないのである。
 あたりまえのことながら、体はみんなちがうのであり、手術にしても、同じ肺結核と言ってもいろいろちがい(正確に言うなら一つとして【同一】のものはない)、また痛と言っても、これまた全部ちがうのである。また骨だけをとる成形と肺摘出では大いにちがい、中には、お産の方がよっぽどしかった、という女も実際にいるのであり、成形だけやった50半ばのある男の如きは、殆ど出血もなくてドレンの管も胸にさされなかったので、手術したその日の夕刻麻酔からさめると、食堂へ出て行って、テレビを見ていたのだ。すると、あなたはいつ手術ですかと顔見知りに言われ、さっき終わりましたと答えて、相手を呆然とさせたのである。これはつくり話ではない。これは事実なのである。したがって、私のこれはあくまで私個人の体験なのである。そして、私のような体験は、程度の差はむろんあるが、まあかなりの人が味わうのだ、くらいに考えておけばよいのだ。多分、私が、あそこへ行けばパタッと死、という、痛を越えてしまった混沌の中で幻影を見たのは、私の手術がそれくらいたいへんだったせいかもしれない。つまり、剥離が完全にできず、出血がとまらなかったことで、私はあんなにしんだのかもしれないのだ。
 しかし、そこを体験し、くぐったために、私は、私が予していたものとはちがった、新しい事実にぶつかることとなったのである。
 その第一は、これまで述べてきたように、たとえ幻影であろうと何であろうと、私は死の影を見、それを具体的にじ得た、ということだ。痛の果ての死を具体的に考える一つの手がかりを私は得た、ということだ。つまり、痛というものも、その極限に達しはじめると、私は痛をずる能力を失っていったのだ。それは痛というものとは別の次元であるようにじた。つまり、痛に襲われている間は、私はまぎれもない一個の生命体としてその生の状況をしんでいたのだ。そのような状態に追いつめられている傷ついた生そのものをしんでいたのである。
 そこを過ぎると死との間の中間帯の次元が現れる。そこでは痛をじ反応し、さまざまの信号を脳が発する能力はしだいに弱まり、あいまいになってしまう。そこに入っていった時、私は、あたたかい地球から離れてしまった、とったのである。このまま行けば、いっそう私自身も周囲の空間もつめたくなり、そして、そのきわみに、一切が突然なくなってしまう世界がある、とったのである。なるほどこういうものだったのか、というぐあいに私がった、そのことが鮮明に残っている。
 そこにはもう、ただ一つのことを除いては、どのような人間情も存在しなかった。おれはいま、燃えつきようとする一個の物体だ、と私はい、そして私の親しい人々に対しても、また私自身についてすら、喜んだり悲しんだりするすべての情はもはや消滅していた。これはいまにしてえば全く予しないことであった。親しい多くの人々と別れて、淋しいとかつらいとか悲しいとか、そういった情はここにくると、もう存在しなかったのである。
 ただ一つだけ、最後まで残っていた情がある。それは、何とも言えない無いであった。こうやってついに生命に別れを告げるのか、という確認と同時に、かつて人間であり、ただ一度の生を生きたというその証拠を、自分がこうしてパタッと消えるとしても、やはりつづいていくであろう人間の歴史の上に、たとえどんなかすかな爪あととしてでも刻むことなくして飛び去らなくてはならないという無さであった。
 これは外だった。自分なりに精いっはい生きてきたつもりだったのに最後にそんなものが残るとは夢にもわなかった。どうせ死んだらどんな人間もみな同じだ、とったりする人も世の中にほあるが、一回きりの生命というものは、一回きりのにおいて、最後のどたん場で、私を責めたのである。このことについては、これが出発点となって、それ以後私はその内容をさぐっていくようになるのであるが、それは第3章で追究していくことにする。ただ私なりの考えの一端を書いておくと、どうせ一度きりのいのちだ、どう生きようと自由だ、という考え方は、それはそれで、私は別にどう干渉するつもりもないが、生のまさに終えんとするそのどたん場で、はじめて愕然(がくぜん)として、言い知れぬ無いを抱いて死に突入するほど、凝縮された絶望はほかにあるまいとえるのである。


【『生命の大陸』(三省堂1969年)/『死 私のアンソロジー7』田道雄編(筑摩書房1972年)】


生命の大陸 生と死の文学的考察


死 私のアンソロジー7