キリシタンは殉教を喜んだ

 板倉(勝重)は、「生来温厚寛仁の人」だった(『イエズス会日本報告集』)から、彼らをすべて放免するつもりだった。しかし(徳川二代将軍)秀忠は、牢にいる全員を火焙りにするように命じた。(中略)
 処刑される予定のキリシタンたちは、殉教できること、それがキリストと同じ十字架上の死であることを喜んだ。
 板倉は、キリシタンたちがあまり苦痛を感じないで死ねるように、大量の薪を用意した。(中略)
 そして、52人の者が背中合わせに2人ずつ十字架にかけられ、薪に火がかけられた。そのときのキリシタンたちの様子は次のように書き留められている(『イエズス会日本報告集』)。

 大人の眼にも顔にも驚くばかりの喜びが輝き、死も苦痛も感じていないように思われた。異教徒までが殉教者の不動の比類ない忍耐を認め、少しでも身体を傾けて炎を避けようともしなければ、四肢(しし)を縮ませて苦痛を表しもしないのを認めた。


 こうして、52人の殉教者が新たに生まれた。見物した者たちは、しばらくはこの殉教の話でもちきりだった。
 支配的な意見は、「キリシタンは頑固な頭を持った輩である。彼らは強情を貫き通し訳もなしに生命を捨てている。しかし彼らの精神や極刑をも耐え忍ぶその比類ない勇気に至っては、どれほど感嘆し称賛してもしきれぬほどである」というものだった。
 キリシタンたちの死を恐れない勇気を、信仰の差を越えて多くの人が感心し、称賛したのだった。


【『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文光文社新書、2009年)】


殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書) 沈黙 (新潮文庫)