ジャイナ教裸行派の禁欲

「これらの原則は二つの方法で実践することができる」と導師はいった。「僧侶と尼僧はより厳格に原則に従う。例えば僧侶は食物を育てたり料理したりしない。我々は足以外の交通手段を用いない。船さえも使わない。もし川に橋がなければ、対岸へは行かない。我々はお金には触れない。蝋燭(ろうそく)や電気も使わないし、火も焚(た)かない。我々は日の光によってすべてを行い、夜は闇(やみ)の中で詠唱し瞑想する。僧侶は最小限の物質的資源しか使用しない」
「服さえ着ない僧侶もいます」と私はいった。
「そう、そのとおりだ。彼らは『ディガンバラ(裸行派)』の僧侶たちだ」と導師は述べた。「彼らは托鉢僧(たくはつそう)として両手のひらを用い、自分の行く道や体から虫を払うための孔雀(くじゃく)の羽のほうきと、水を飲むための木の椀以外は何も持たない。しかし、我々、『シュヴェーターンバラ(白衣派)』はそこまで極端ではない。我々は縫っていない布を二反、毛布を二枚、三つの托鉢鉢と数冊の教義書を用いる」


【『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール/尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫2005年)】


 本部職員は裸行派で修行し直してくるべきだ。


君あり、故に我あり―依存の宣言 (講談社学術文庫)