唾棄すべき依存心


 コメント欄を閉じたのは、鬱病の学会員が不穏当な書き込みをしたため。アクセス数が多くなると、かようなリスクが生じる。いつだって自由は損なわれる。少数の人物によって。


 その他のコメントについては、「ま、こんなもんだろーなー」という印象だ。有用な意見は一つも寄せられなかった。ま、ほんの少しはあったんだが、敢えて皆無だと言い切っておこう。そう、私はミスター横柄だ。


 何度かに分けて、いくつかのコメントに応答しておく。

デカルト、カント、ヘーゲルと並べられるような作品があるでしょうか? 私はないと思います」とあなたは言いますが、そうでしょうか? 例えば各国の大学での講演のレベルは? 対談集に込められた先生の、対談者の強いメッセージは? 先生を最初に注目された外国の知性は、アーノルド・J・トインビーでした。見てる人は、見て知っています。特に世界的な問題の解決を模索している知性は。心配する必要はないと私は思います。(※誤字を訂正した)


【fowo】


 当初から想定された反応ではあったが、やはり書かれると逆鱗(げきりん)に触れる。この文章の無責任さ、依存性を一瞬で判断できるようでないといけない。

 馬鹿丸出しである。学会員は何かというとトインビーを口にする悪い癖があるが、『二十一世紀への対話』(文藝春秋1975年)を読んでいるメンバーは多分1割に満たないだろう。そもそも、日常の活動をする中で「トインビー対談って凄いですね!」なんて話は、まず聞いたことがない。時折、会合では流通しているようだがタイトルだけだ(笑)。


 本当に凄いと感動した人であれば繰り返し読むはずだ。更に少なからぬ創価ブロガーが思索の痕跡を記しているはずではないのか? 大体「トインビー、トインビー」ってポリンキーみたいに言ってやがるが、トインビーの本を読んだことがあるのか? そしてそこにとどまることなく、他の歴史学者の著作を紐解いた上で「20世紀最大の歴史学者」と言うことが可能になるんじゃないのか?


「見ている人は見ています」だと? お前はどうなんだよ? 他の人なんてどうでもいいんだよ。お前がどこまで感動を語り、思索を書き残しているんだよ? 「心配する必要はない」って、まずお前自身のことを心配しろよ。


 平均的な学会員ってこんなもんだろ? 師に依存し、識者に依存し、他人の褌(ふんどし)で相撲をとって平然としていやがる。それが師匠を利用していることにすら気づかずに。こんなのばっかりいるから、個人崇拝に毒された北鮮と同一視されるんだよ。根拠なき万歳。


 例えば先日、こんなことがあった。フランス人の書いた学術書に先生の主張が紹介されていたが、学会員であれば明らかに違和感を覚える内容だった。出典が不明確で1977年としか書かれていなかった(これが最近の学術書の傾向)。私は直ぐさま、この年代の著作を一通り確認した。4冊ほどだ。この中に該当しそうなキリスト教に関する話題は1ヶ所のみであった。


 しかも会長勇退の2年前とあって、大半の指導が要旨のみの紹介となっている。『月刊ペン』が反学会キャンペーンの狼煙(のろし)を上げたがの1976年のこと。日本人の、しかも学会員である私が見つけられないのだから誤謬(ごびゅう)の可能性が高い。


 私は出版社にメールを送った。「翻訳者経由で著者にご確認願いたい」と。「素晴らしい内容であるだけに、つまらぬ誤謬で瑕疵(かし)をつけてはもったいない限りです」と付け加えておいた。後日、出版社から丁重な返事が寄せられた。私のメールは既にフランス在住の翻訳者へ送られたとのことで、感謝の言葉が添えられていた。


 少なくともこの程度のことができるようになってから一丁前の口を利いて欲しいものだ。


 ま、こんな後ろ向きの内容を書いても仕方がないのだが、あまりにもレベルの低い学会員が多いので、警鐘を鳴らす意味を込めて記した。少しは自分の無知を恥じろ!



二十一世紀への対話〈上〉 (聖教ワイド文庫) 二十一世紀への対話〈中〉 (聖教ワイド文庫) 二十一世紀への対話〈下〉 (聖教ワイド文庫)