犠牲の正当化

 彼らの犠牲は、まさに犠牲として正当化された。

 その象徴がランゲマルクの戦闘だった。この前の大戦勃発の1週間後、新兵訓練所から送られたほとんど武装さえしていない数千の学徒が、大砲と機関銃が待ちうける死地へと向かわされた。
 ばかな司令官の過ちにすぎない、いかなる戦略上の意味もなかったという事実が、この戦闘の犠牲としての象徴性を高めた。意味のない犠牲を供物へと昇華することによってのみ、戦闘の不合理は合理化することができる。機械化された戦闘の孤独、犠牲の無名性、運命の恣意もまた、犠牲の正当化ゆえの目的となりうる。


【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー/上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社1958年)】


ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり