梵天勧請について

厳密にいえば、大乗的理論構築と運動を分けるべきだと私は思います。ここもしいところです。悟りを行為に貶めたと見ることも可能です。梵天勧請なんていうデマ話を鵜呑みにできません(笑)。 RT @ujikenorio: そして聖俗構造論だからシカタガナイとしても、例えば大乗「運動」…
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply

仏教に梵天勧請という話がある。悟りを開いたブッダが法悦に浸り「このまま人生終わってもいいかな」と思っていた。そこへ梵天という神が降りてきて法を説くことを要請したというもの。物語としてあまりにも稚拙だと思う。(続く) http://bit.ly/9Viz2j
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply

ここに示されているのは、ブッダが悟りを得てから法を説くまでに時間を要したという事実であろう。とすると答えは簡単だ。ブッダは悟りを言語化することに呻吟したのだ。言葉にした途端、それは情報と化し、理論化を目指す羽目となる。ブッダは誰よりも言葉の限界を知っていたに違いない。
Nov 11 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply